人生初、裁判の傍聴に行ってきました。
これだけ社会問題に興味・関心があったのに傍聴に一度も行ったことがないとは、どういうことだ?と今回改めて思いました。
過去はさておき、とにかく初めの一歩です。
何の傍聴かと言うと「結婚の自由をすべての人に訴訟」です。
100人が入る会場に溢れんばかりの人が来ていました。
印象に残ったのは原告の意見陳述でした。
5分という短い時間でこんなにも心を揺れ動かされたのは初めてでした。
異性愛者同士であれば当然の権利として受けられるセーフティーネットが受けられないことの
理不尽さ。2人が行く先々に立ちはだかる数々の壁が不安と悲しみと苦しみを生み出している。
なぜなんだろう。
愛する者同士が同性愛者だからといってなぜ同じ権利を受けられずにいるのか。
社会でいない者とされることは想像以上に辛い、辛すぎることだと思います。
この訴訟では婚姻の自由の侵害と平等原則違反であることを訴えています。
私はかれこれ20年ほど前にアメリカの高校に一年間留学しました。
アメリカは今、大統領が自国第一主義を打ち出す中で社会全体が揺れ動いています。今の状況は肌で感じて知ってはいませんが、
20年前の高校生の私はアメリカで多様性の中の自由を感じました。日本よりものびのび生活できとても心地よかったように思います。
当時、私にはゲイやレズビアンという言葉がありませんでした。
けれどランチタイムに隣の友人(男)は恋愛対象が男の子で「○○君はキュートだよね~」という話を堂々としていました。
私は別に何の不思議な気持ちもなく聞いていました「そうかな?」「私は彼の方がタイプだけど…」なんてことも。
あれから20年日本の高校でこんな会話ができるのでしょうか?
99%できない気がします。もちろん高校生ではありませんので時代は変わったのかもしれません。
日本の学校が苦手で苦手で飛び出した私が迎えてくれるアメリカはもちろん問題も沢山あったし、
見えてなかった現実も多々あったと思いますが、私が経験したような事実が確かにありました。
それ以外にも「私のステップシスターがステップファミリーが…」
という言葉が何のこともなく出てきていました。
良い悪いという尺度で計ろうとは思いませんがその事実がありました。
もちろん開かれているように思うアメリカも同性婚が認められたのは2015年と最近の話です。
私は願います。
誰もがこの国で自由に物が言え、自分の幸せを追及でき、平等に権利を受けられる社会であることを。
次回は7月5日(金)の15時半から大阪地方裁判所であります。
この件を最後まで見届けていきたいと思っています。
多くの人が関心を持って傍聴に来ることがこうした社会を実現する一歩であると思います。
こい